“本革”はサスティナブルでないのか。
こんにちは。studio FAVORIのゆうです。
今日はしばらくずっと頭の中でもやもやとしていたことを文字に書き起こしていこうと思っています。
少し個人的な感情が乗ってしまっている部分もあるかもしれません。
でもこの記事を読んでくださっているすべての方に少しでも何か届いたらいいなと思います。本当に大切なことなのです。
どうか最後までお読みいただけますよう。
牧場の現実
この記事を書くに至った理由は、牧場の現実について聞いたこと(さっそくですが少しプライベートな内容になります)でした。
話は私のパートナーから聞きました。
彼はプロの料理人で、以前お仕事で扱うお肉のことを学ぶためにとある牧場を訪れました。
旅から帰った彼は「心が痛む」と言うのです。
彼が見た牛たちはとても元気に牧場を駆け回っていました。その様子は私も、彼が撮ってきた動画を見せてもらいました。
生き生きと、たしかに命を感じるものでした。
聞けば、そうではない牧場は多いのだと言います。
狭い牛舎に閉じ込められ、必要以上の量のえさや生きていくには不自然な内容の偏った食事をさせられて、その影響でお肉になる直前には失明し、歩くこともままならない牛が現実に育てられているのだと。
全てを見ていないので一概には言えませんが、いわゆるA5ランクとか霜降りがどうとか言われるお肉はそうだったりするのだそうです。
肉牛を育てる側は売るお肉のランクが上がれば稼げる。だから偏った食事をさせ、牛たちを太らせるのだと。
これがすべて 人の手 によって行われている事実。
何もかもが自己中心的で、私たちのためにお肉になる牛さんになんの敬意も感じられない。牛さんに限らずすべての家畜に言えることです。
彼らもたしかに私たちと同じ命なのに、どうして。
心が痛むどころではなく、話を聞いていて涙が止まりませんでした。
書いている今もぎりぎりです。
自然な営み、循環の本質
それからこの話を聞く少し前に、SNSで見かけた広告には大筋こんなようなことが書かれていました。
“本革よりもサスティナブルなアップルレザー”
“本革の鞣しでは大量の水が使われるから環境への負担が大きい”
見た当時から違和感がありましたが、牧場のことを聞いてからこれを思い出してもうダメでした。
だからこうして書くことにしました。
大昔、ヒトは動物のお肉を頂く必要に駆られ、狩りだけでは足りなくなって家畜を育て始めました。
お肉を頂くと、例えば牛ならその皮が残ります。
おそらくそのときのヒトはごく自然に、捨てるのではなく素材として生かそうと思ったのでしょう。
そうしていつしかタンニンを使った鞣しという技術が確立され、革ができたのでしょう。
なんて違和感ない、自然な営みか。
今、世界中80億人のヒトがお肉を頂かない生活を完成させることはほとんど不可能です。なぜならもともと自然にできあがった生物による食物連鎖だから。
それを前提に残った動物の皮を燃やして廃棄して、新しいレザーを作る方が絶対にいいと言えるでしょうか。
あの広告を見てそんな思いが込み上げました。
捨てられるはずのリンゴやパイナップルの皮を利用して新しい素材を生み出す。
アップサイクルという発想は素晴らしいですよね。
ただし本革はその比較対象になり得るか。
あの広告の記事を書いた人は、きっとそんなところまで考えが及んでいないのでしょう。両者は全くの別物です。
当店でも採用しているタンニン鞣しの革は、人にも環境にもやさしい伝統的な製造方法で作られています。
対してアップサイクルによる新しいレザー(?)は、化学薬品を用いて生み出されるもの。そのほとんどは樹脂で、りんごの皮やパイナップルの皮自体は成分として全体の半分にも満たないことも。
全部を否定するつもりはありませんし、そういうフェイクレザーについてはそこまで詳しくないのであまりはっきり言えませんが、廃棄されるはずだった果物の皮を生かすためにどれだけの環境負荷があるのかなあとは思います。
その起源は紀元前 600 年頃、古代エジプトまで遡ると言われているタンニン鞣しの本革。
世界が複雑化する前に生み出されたその循環は、間違いなく失われてはいけない、意義ある伝統でしょう。
結び
情報が溢れてしまった現代。
知識があれば違和感を覚える内容のものも多くあります。
それがたまたま本革に関わることで、どうしても伝えなければと思いここに至りました。
大きなブランドではないし、伝えることに限度があるのも分かります。
それでもこの記事に出会ってくださったあなたには、何か考える余白を与えられていたらいいなと思います。
どうか物事の本質を見落とさないでほしい。
studio FAVORIは本革という素材を大切に、これからもものづくりをしていきます。
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